北澤防衛大臣離任挨拶(聞き取り:平成23年9月5日)

 大臣を離任するにあたり、一言ご挨拶を申し上げます。
夕べ自分で書きました。今時こんなペン書きのものは珍しいと思いますが、最後まで緊張をしてというつもりで、筆をしたためて参りました。
 歴史的な政権交代が起こりました。民主党政権が誕生したわけでありますが、それと同時に私が防衛大臣を拝命いたして、今日まで720日間、務めさせていただきました。本当にありがとうございました。私にとりましては、実に充実した、そして楽しい日々でありました。それもひとえに、皆様方が一致団結をして、この防衛省・自衛隊、いや、日本の国、国民を守る、そういう一点において、ご協力を頂いたたまものでありまして、表現が適切かどうか分かりませんが、本当に楽しい日々でありました。そして今、私の胸中は、高浜虚子の句にありますように、

 星一つ、命燃えつつ、流れけり、一つ、星一つ、命燃えつつ、流れけり。

 こういう心境であります。本当にありがとうございました。
 しかし、振り返ってみますと、最初に私が防衛大臣であると聞いた瞬間、間違いなく皆さん戸惑ったと思います。大丈夫かなと。隠さなくていいんです。私自身も緊張感と同時にそういう思いをしました。皆さん方と最初に会ったとき、皆さん方、まず私が野党で、外交防衛委員長で、防衛省の改革について、議会での指揮をとらせていただいた事がトラウマになって、なかなか心開こうというには難しかっただろうと思います。しかし、そんなことはあっという間に雲散霧消して、国民のため、国家のために、心をひとつにすることができたことは、本当にありがたかったと、しみじみ思う次第であります。
 そこで私は、就任にあたって二つの事を考えました。一つは、民主党がこれから担う防衛政策、これを内外に向かって一日も早く、分かりやすく発信することであります。そこでまず最初にぶつかったのが、ちょうど大綱の見直しの時期であります。私の当初の考えからすれば早いほうが良いということでありますが、私はそうではなくて、早いということと、明確であるということを一緒にすれば、政党としての責任感から、なんとしても、じっくり、党内世論、内閣での議論、そういうのをしっかり固めるべきであると、いうことで、一年間延ばさせていただいて、防衛大綱、中期防を作ることができました。皆さんの英知を結集し、そしてまた、国内の有識者のご意見を聞く中で、作りあげられました。その中には、ご案内のように、今までの基盤的防衛力構想から、動的防衛力という概念を作り出し、そしてまたそれを防衛省の構造改革という中で明らかにすることもできました。さらには、精強な自衛隊を構築するために、人事の構成についても手をいれることができました。ご協力を頂いた皆さん、そしてまた、痛みを承知の上で改革に乗り出していただいた、防衛省・自衛隊の諸君の心意気に心から、感謝を申し上げる次第であります。
 それから、もう一つは、政策をどう進めていくかということでありますが、私は基本的には、国防ということからすれば、前政権が進めた基本的な政策、そして外国との約束、そういうものは踏襲すべきであると、基本的な考え方を持っておりました。しかし、改めるべきものは堂々と改める。そのことに躊躇してはいけない、という思いをもって臨ませていただきました。これに対する、前政権の諸君からの批判、これは国会の中で、しっかり受け止めさせていただいて、十分な議論が出来たということは、私は与野党を通じて、国会がしっかり議論の場になったということを、嬉しく思っております。
 時々ムカッとすることがなかったと言えば、嘘でありまして、傍にいる人はかなりあったと言っていますが、冷静に議会を乗り切ることができたことも、皆様の下支えがあったからこそと思っております。
 そして、今申し上げたことは、政権、歴史的な政権交代が起こって、新しい政治勢力が、国家を運営するということになれば、特に変更すべきことは、最初の大臣がこれをすべきだという強い責任感を感じておりましたから、私が在任中に、全てのことについてスタートを切るべきだという強い意識をもって事に臨んだということをご承知置き頂きたいと思います。
 それから、二つめでございますが、これは27万人の防衛省職員、自衛官の皆様方、そしてその外側にいる産業界、言論界、そして報道界の皆様方と、どれだけ意見を交わしうることが出来るか、コミュニケーションをとることが出来るか、これが私にとって最大の仕事でありました。しかしこれは道のりの長い、険しい道であります。特に内部の皆様方とは、ただひたすら成果を求めずに、私は部隊の隅々まで視察に行くということを心に決めて、そして稚内、確か礼文島のレーダーサイト、あるいは南は宮古のレーダーサイトに行って、それぞれ厳しい、そして極めて、生活的には寂しい環境の中で、黙々と任務についている諸君とも意見を交換する事ができました。もちろん全国の皆さん方とも十分な憩いのひとときを持つことができました。少し公式的ではありませんけれども、そこで感じた私の気持ちは、一言で言えば、前線で働いている自衛官の諸君は、会えば、ただただかわいい。その一言につきました。少し情緒に流される感がありますので、なるべくそのことは申し上げないできましたが、一途に職務に精励し、上官の指示、命令に従うことを誇りとする、我が日本国自衛官の清々しい姿を、大変嬉しく感じた次第であります。
 それから先程も申し上げた、この防衛大綱・中期防については、私は日本の防衛、そして安全保障に関する様々な問に答えてきていると思っております。それから対外的な問題については、私は積極的に国際会議に参加いたしました。ほぼ10ヶ国以上の国防大臣と、バイの会談をすることができました。特に同盟国である、米国のゲーツ長官とは、7回に渡って会談をすることができました。そして本年6月、4年振りに、民主党政権とすれば初めての2+2を行うことができました。そしてその中で、同盟の深化、ミサイル防衛、さらには、米軍再編、馬毛島等も具体的に成果を文書化することができたことは、次の新しい政権に委ねるに十分耐えうるものだと自負しております。
 さらに特筆すべきことは、私たち政権を獲得した我々が、この2+2にコミットしたということは、日本の現在の政治勢力の8割以上の者が、この安全保障、国防について、コミットしたということになります。米国はもちろん、日本と米国に深く関係のするアジア太平洋の諸国も、大きな安心感を持ったのではないかと、そういう意味では歴史に残ることであったと思っております。
 さて、もう一つ、武器輸出三原則であります。私は武器輸出三原則というのは、私なりに大臣になる前から、わが国の憲法九条、そして専守防衛、そういう精神からすれば極めて重要なことであるという認識をもっておりました。しかし、防衛省に入って、世界の趨勢を見るにいたりまして、ここは自由民主党政権の中で、これに手を入れることは、極めて、国民の感情からして難しい。政権交代をした民主党の政権が、しかも最初に手がけなければ将来禍根を残すであろうと強い思いにかられて、この問題に取り組みました。しかし、今までそれを言おうとして言えなかった人たちの期待があまりに強いがために、中途半端だとの批判がありました。そのことは、私は敢えて否定は致しません。しかし、最初に思った以上に、大綱にきちんと「検討する」ということを書き得たことは、私は大きな風穴を空けたと。今後わが国の、防衛産業、経済界、そういう方々、そしてまた技術の更新、産業基盤の強化、そのようなことからすれば、極めて重要な事でありまして、今後皆様方に、この流れをしっかり、ひき続き踏襲していただきたいと思っております。
 それから二つと申しましたが、実は仕事をしているうちに感じたことがあります。それは、国家の危機、そして国の防衛を司る防衛省と、国の中枢である総理、官邸とのパイプの問題であります。私はたまたま政治的に、菅総理とは極めて近しい仲でありましたから、物が言えたのですが、組織として、官邸の中に直結するパイプがないということは、極めて今後危険であると思いまして、総理秘書官の設置を強く要請して、この2年間の中で、それに配置をすることができ、しかも、現在、秘書官は極めて有効に、活動をしてくれております。そしてこれは、制度として立ち上げましたから、今後も続いていくであろうと思っております。
 それからもう一つは、日米を中心にした、外国との国防上の様々な取組について、我々が果たして、直接的に仕事がきちんとできているか。例えば,米国大使館における防衛省の職員の立場、数の問題。そういうことを考えると、私もワシントンへ、数回足を運ばせていただいた中で、現地の者、それから直接大使にもお話をする中で、強くそのことに感じ入りまして、米国大使館の一等書記官を参事官にあげるということでご了解を得て、今、その仕事は多分、事務的にきちんと整理ができたと思っておりますが、さらに、設置法の改正法案は、前国会では、残念ながら継続審議となりました。その中に、防衛審議官、対外的な任務を専らにする高官を置くことを、その中に出させていただいておりました。是非これは、引き続き国会の審議を得て、法案を通過させて、防衛省が対外的に自ら高官をもって対外国との交渉にあたられるように、そういう強い体制を作っていただきたい。これは私はある意味、職を辞するに.あたって、遺言のような気持ちでおります。しかし私も、党へ戻って、議会の方でまた活動する、年数がありますので、全力をあげてこのことには携わって参りたいと思っております。
 防衛省は、当たり前でありますが、わが国の官僚機構の中で、間違いなく、一流官庁であります。誇りをもって責任を全うしていただく気概を持っていただきたいと思います。
 さて任期中、ハイチPKOへは350人規模の派遣をいたしました。またアデン湾における、海賊対処、国際貢献等には、積極的に皆さんに活動をしていただき、また援助をしていただきました。さらにまた、思いもかけない、東日本大地震の対応は、間違いなく自衛隊の歴史にその成果は深く刻み込まれることでありましょう。何事にもよらず、あのときはこれだけ出来たではないかということが、後々の尺度になるはずであります。このときの思いをしっかり、自衛隊・防衛省の歴史の中にも刻み込んで、私は邁進していただきたいと。しかもこの成果は、諸君の日ごろの訓練による力量、そして努力によるものだということで、心から感謝を申し上げている次第であります。
 それから、心残りなことがあります。米軍再編、とりわけ普天間移設の問題、それからすでに報道で明らかになりました馬毛島の問題、これは道半ばであります。しかしこれは、なんとしてもやりぬかねばならない、今日の日本をとりまく、そしてまた、東アジア、太平洋全体における、枢要な課題であると思っております。どうか、新しい大臣とともに力を合わせて、この問題を解決していただきたいと思います。わが国における米国のプレゼンスが、わが国の安全のみならず、アジア、太平洋地域の公共財としての重要性に鑑れば、この問題、日米の問題、これは政権として、あるいは、内閣、防衛省として、二度と、二度と方針を揺るがすことのないようにしなければならないという、強い思いを持って私はこの場を去るわけでありますから、是非その思いを皆さんに引き継いでいただきたいと思う次第であります。
 最後に皆様にお願いを申し上げます。今日の自衛隊に対する評価におごることなく、常に国のため、国民の最後の砦は自分たちであるという強い使命感を持ち続けて欲しいのであります。
 少し最後に、私の性格でおせっかいを申し上げます。諸君、個人個人は常に志は高く、訓練、任務、職責には思い切り厳しく、そして趣味は豊かに、そして余暇は楽しく、人生は豊かにスケールの大きい人間を目指して欲しいと思います。強い自衛官、強い自衛隊、そこには必ず慈愛そして優しさがなければなりません。優しさがない強さなんて、なんの意味もないのであります。強く優しい者が国を守る、それこそが益荒男の本懐ではないでしょうか。私はそう思っております。
 我が郷里の詩人、島崎藤村の詩の一部を、皆さんにご披露申し上げて、私の辞任の挨拶に代えさせていただきます。一部抜粋であります。

(島崎藤村 酔歌 一部抜粋)
 名も無き道を説くなかれ、名も無き旅を行くなかれ、甲斐なきことを嘆くより、来りて美き酒に泣け、
 わきめもふらで急ぎ行く、君の行衛はいづこぞや、琴花酒のあるものを、とどまりたまえ旅人よ。

もう一度読ませていただきます。

 名も無き道を説くなかれ、名も無き旅を行くなかれ、甲斐なきことを嘆くより、来りて美き酒に泣け、
 わきめもふらで急ぎ行く、君の行衛はいづこぞや、琴花酒のあるものを、とどまりたまえ旅人よ。

 諸君、国のため、自衛隊のため、そして豊かな人間性を築くことがその礎であるということを心にしっかり秘めて、今後ますますのご精進をお願いする次第であります。
 最後に皆さんから頂いた心温まるお力、そして時には「それは間違っているのではないか」という意見も、私の所に届くようになりました。そのことが大切であります。諸君の誠意に心から感謝を申し上げて、さようならとさせていただきます。ありがとうございました。